PSI Vol.9, No1 March 1986 Foreword pp.1.
 巻頭言

主観の復権を考えよう
木村 六郎

 心霊研究50年を越えた小田秀人先生の哲学によれば、「人間に限らず生物はすべて本来主観的なものである。今のように客観性が優先するようになったのは18世紀に科学思想が普及してからのことだという。望遠鏡の発明がコペルニクスの地動説を生み、ガリレオはローマ法王らの主観との戦いに敗れて処刑されたといえる。
 明治の末、福来博士は東京帝大の山川総長との戦いに敗れて追放され、早大の直良(ナオラ)教授は明石原人の骨を発見したが、当時の地質学説に反するために、晩年に至るまで無視された。近年に至ってもUFOの存在は認知されず、生物学的元素変換の事実は黙殺され、スプン曲げ、透視、テレパシー、ダウジング効果など、サイ現象の多くのものが客観的証明のために血みどろの戦いを続けている。
 われわれサイ科学者は関博士のサイ科学の定義に基ずいて、あくまでも科学的手法によって、これらを実証するために、多大のエネルギーと時間をかけて努力しているが、これらのサイ現象を体験した者はその事実の存在を主観的に認めているのが現状である。
 もちろん、客観的証明は大切であって、決してこれを無視するものではないが、主観的に容認しようとしない者を、如何に客観的証明をならべても、その人の主観を納得させるには限界があると考えざるを得ない。場合によってはその努力はある時期がくるまで無意味であるかもしれない。サイ科学研究はこの点を充分考慮して、ある程度、無理解者を無視して、効果的にサイ現象の応用と発展を進めるべきであろう。
 関博士のサイ科学の要約の註7に曰く、「そう遠くはない未来にサイ能力者が圧倒的に増加して、現在は主観的であっても、将来、客観的と見なされる可能性は濃厚である」と。まさに主観か客観かの問題はそのときの条件次第で変るもので、絶対なものではなく、小田哲学に沿って、科学思考以後あまりにも片よりすぎた客観性重視を考え直し。主観の復権を考えたい。(1961.2.1)

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