PSI Vol.4, No1 September 1979 Foreword pp1.
 巻頭言

木村氏科学も宗教である
関西支部長 木村六郎*

 私は大学で電気工学を専修し、1930年以来、電気技術者して電気を扱ってきた。しかし未だかつて電気というものを見たことがない。ただ電流を流すと(正確にはスイッチを入れると)電球が輝き、モーターが廻り、電線にさわるとピリッとしたり、しびれたりする現象を知っているだけである。
 それらの現象を説明するのに、いろいろな知識を勉強した。いわく電気磁気学、交流理論、回路網理論ーー最近は電子工学、電波工学、半導体理論、はては超電導まで何と多くの知識を得たことか。ところがそれらの理論の根源をなすものはオームの法則であり、フレミングの法則であり、また最近の原子理論や電子工学の土台はニュートンの万有引力の法則である。
 オームの法則というのは、ある導体に加えた電圧と、それに流れる電流との比が一定であるという法則であるが、どうしてそうなるかということは私どもは知らない。ただオームの説く教義に従って、これを信奉する ことによって電気磁気学も、交流理論も、回路網理論も成立っている。
 フレミングの法則というのは、電流のまわりに磁力線が生ずると考えた電磁気学の基である。これに従って電磁石が作られ、モーターが廻り、電磁波理論が生まれたのである。しかし、電流が流れたら、どうしてそのまわりに磁場が生ずるのか、私どもは全く知らない。それを信ずることによって電波の存在が考えられ、ラジオやテレビや衛星通信が生れたのである。
 ニュートンの万有引力にいたっては、まことに卓越した仮説であるが、引力とはどんなものか、それが物体相互のあいだで、どんな仕組みで作用するのか全く不思議である。しかし、これによってりんごの落ちることが説明され、小は原子核の陽子と電子の組み合せが考えられ、大は宇宙の天体の運行が手ぎわよく説明できるのである。
 科学とは何か。そのルーツを探れば各種の法則を信ずることによって、すべての理論が成立っている。それらはあくまで仮説から始まって現象の説明に役立つものだから、法則として信奉されるのである。神仏の存在を信ずる人は、不可解な現象の多くを神のなせるわざと考えて納得しているが、科学を信ずる人は科学的手法で説明することによって納得する。PS学会は今までの科学で説明できない現象を新たな科学的手法で解明しようとしている。それにはニュートン、フレミング等に匹敵する科学教の教祖の出現がのぞまれている。関会長のサイ情報論、政木博士のバクトロン仮説、宮内博士の念電効果、本山博士の幽体、霊体の仮説など、21世紀の科学の土台が着々と築かれていると私は思う。
 宗教は何のために存在し、役立ってきたか。人類の幸福に資するためであった。科学教の目的もやはり、そこにある。今までの自然科学は人のこころ、生命、意識を除外しすぎていたために、現在、環境破壊の元凶のようにいわれる所以がある。科学も宗教であるならば、物ばかりを相手にせず、あくまで人のいのち、心に奉仕し、その幸福を目的とするものでなければならない。小田秀人先生の哲学はこの点を平易に指摘している。PS学会の行く道は他の宗教をよく理解し、これらと互いに手を握り合って、人の幸福に奉仕する科学教の樹立と普及につとめることにある。   (54.8.15)
*関西支部長 Dr. Rokuro Kimura, Yomiuri T.V. Co.

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