PSI Vol.16, No1 December 1993 Foreword pp.1.
 巻頭言

会長 木村六郎博士を偲んで
関 英男

 関西日本サイ科学会会長木村六郎博士は、平成4年2月22日午後5時7分に心筋梗塞による心不全のため急逝されました。聞く所によりますと、木村さんは御逝去の三日前に当たる12月9日の第160回研究会、そして引き続いて開催された懇親会に、いつもと変わりなく御出席になったということです。
 木村さんの御生誕は明治44年1月4日とのことですから、満82才を前にして現世を後にされたわけです。小生は木村さんと50年以上のお付き合いですが、その御経歴を簡単に振り返ってみましょう。
 木村さんは昭和5年に早稲田大学理工学部電気工学科を御卒業になり、直ちに当時の逓信省電気試験所(現在の電総研と通研とが分離する前の組織)に奉職され、超短波測定に関する研究の分野を担当して、常に業界を指導されました。戦後、電気試験所を辞し、中野の白バイ等の無線通信を利用する端緒を開かれました。官界を退き、民間に移られてからは読売テレビ放送会社常務取締役として技術指導をされ、現役を退かれてからも同社顧問として後進の育成に努力されました。
 木村さんは多方面に亘多彩な御活動を続けられましたが、その中でも黒川古文化研究所の理事長という要職についておられたため、御葬式当日も葬儀委員長等は同所より選出され、弔辞も同所を代表した方が述べられました。
 日本サイ科学会との関わりは1976年本会創立の翌年ですから、1977年来ということになります。このときから関西支部が設立され、木村さんが支部長として今日に至っております。ただし、1991年以来本会の制度改正により、木村さんは関西日本サイ科学会会長という肩書となられました。従って、この追悼文の題名として「会長木村六郎博士を偲ぶ」とした次第であります。ちょうど1992年7月26日には木村会長が中心となり、芦屋市民センターのルナホールで関西支部創立十五周年の記念行事を開催され、700人もの参加者を得て大盛会でした。このように、木村さんの経営能力には目を見張るべきものがあり、学会本部も関西に見習うべきであるという意見がでたほどであります。
 このように木村さんは日本サイ科学会にとっても大切な方でありましたので、御逝去の打撃は極めて大きいものがあります。木村さんはサイ科学に関係されて十数年になり、1983年より1984年の2年間は本部の会長として御盡力を頂きました。その御功績は甚大なるものがあります。ここに会員の皆さんとともに御冥福をお祈りしたいと思います。
  編集後記

The museum of kokoro science
PSIJ