PSI Vol.2 ,No1 September 1977 Circumstances to foundation pp.33.
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本学会も昭和51年に創立以来どうにか学会らしい体裁をととのえ、これから本格的な事務体制も確立しようという段階に到達した。この機会に、本学会創立以前の様子と現在との関係を振り返って今後の思い出のノートとしよう。
いささか私事にわたって恐縮だが、筆者は昭和46年3月31日電通大定年退官した後、同46年9月1日から47年8月31日までハワイ大学に滞在していた。その間毎日時間をきめて海岸にゆき、海に入っては砂浜に仰向けになり、雲の去来するのをみて大宇宙に溶け込んだような気持ちになっていた。また、暇をみて図書館にある超心理学の文献を読んだ。
昭和48年7月12日午後2時から6時頃までごく親しい方々だけ11名ばかり、電通大の西2号館6階の613号室に集まってもらって、6頁ばかりのオフセット印刷資料を配付しながら、超心理学研究に対する自分なりの考えをのべた後、自由な懇談を交わした。御出席の方々の中に岡田先生もおられた。
その後、岡田先生の発案で、毎月1回くらいの割で懇談会を開いてみたらどうかということになり、昭和48年12月8日(土)に第1回の超心理懇談会を開いた。そのときの案内状はつぎのようなものであった。
超心理懇談会
目的 外国の大学には大抵超心理学の講座が設置されていると聞きます。
わが国にはそれらしいものがないが、個人的にはこれに関心をもっているもの
が少なくありません。このたび、これら志を同じうするものが相より相はかり
て超心理現象について自由闊達に話し合う場を作ろうとするものであります。
日時 昭和48年12月8日(土)午後1:00より
場所 〒182 東京都調布市調布ヶ丘1ー5
電気通信大学E棟214号室
岡田研究室
当日は学内保健センターで昼食に自然食を用意しておりますから正午までに
おいで下さい。以上
世話人 関 英男
岡田幸雄
以上は当時の案内状を全くそのまま御紹介したものであり、自然食を提供するという御配慮は同研究室の藤川頼彦さんによる心暖まるものであった。因みに玄米炊飯器は同氏の発明である。当日の出席者は学内4名、学外6名の計10名であり、夕方6時半頃まで話題がつきなかった。それから毎月会合が行われ、出席者もだんだん増加した。毎回行われた議題は別の機会にゆずることにして、この会合が昭和50年3月岡田先生の御退官までつづいたことを特筆しておく。
その間、昭和49年3月7日(木)午後7時半から9時まで、日本テレビの木曜スペシャルでユリ・ゲラーに関する実験放送が行われた。筆者は今東光さんおよび大谷宗司さんと御一緒に立会人としてこの番組に出演した。これが導火線となって、日本中全体に超能力ブームが巻き起こった。
昭和50年4月からは電通大の武井先生が、特別に1年間だけ、同懇談会のために学内で会場斡旋を下さることになり、その1年の間に学外で開く手段を講ずる必要に迫られた。学内だと会場は無料だが、学外だと有料だから会費を徴収しなければならない。そのため、会員組織にする必要があった。そこで、4月26日(土)第16回例会の後、藤間和頼彦さんの部屋に有志数名が集まって漫然と話しあった。その席で今後会の名称を超心理懇談会から生命科学研究会と改めてはどうかという意見も出された。翌5月の例会に筆者はどうしても都合がつかず欠席したが、6月14日(土)第18回の例会が終わった5時半から7時頃まで協議したとき、会の名称は筆者に考えるよう山本洋一先生から提案され、この日はじめて会費徴収の必要性がだれからともなく提案された。(文責 関)
日本PS学会が創立されるまで(2)につづく
The museum of kokoro science
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