PSI Vol.23, No1 December 2001 Data1. pp.25-.
  日本サイ科学会創設25周年記念大会
シンポジウム1「未知能力を生活に活かす」
日本サイ科学会創設25周年記念大会レジメ

1.はじめに  シンポジウム1においては、「未知能力を生活に活かす」をテーマにして、サイ研究の原点である、人間のもつ未知能力ーPK,ESP能力ーを、長期間維持し、日常生活やビジネスに応用してきた日本の代表的な“能力者”3名に参加して戴き、理解ある好意的な聴衆の前で、本音で語って戴くことを意図した。
 3名とも長い間超能力に批判的な研究者、マスコミ等の攻撃に耐えて、サバイバルしてきた猛者たちであり、それぞれの個性もかなり違い、興味深い経験やサイ現象、サイ能力に関する独自の見解をもっておられる。
 本文は3名の能力者から事前に戴いた論文と、長年能力者を被験者として研究を続けられた佐々木茂美氏の論文を集録したものである。

2.未知能力を生活に活かす 秋山 偉人
1)サイ現象の出現条件について
 この問題は、サイ現象が永らく論議の的となってきた根本的な問題であり、能力者としての体験から申し上げれば、ただ一人、誰も見ていない所で集中し心身統一を牡った場合、最も現象は起きやすいと思える。
 しかし、研究者からすれば、この状態では客観性はゼロであり、当然、手品の専門家や物理学者、否定派(完全なる)の眼前において現象を起こすことが望ましいのはいたしかたない。
 しかし、手品師はそもそもトリックのエキスパートであり、本当の超能力を見ても、手品そっくりに見えることを彼らの前で見せれば結論はトリックとしか言わないだろう。また手品師が真実を言う保障はないのである。
 さらに、近年、私たちがつらく感じるのは、手品師を超能力者と思い込んだ人から、あれほどすごい能力が、お前らにはできないのだから、ダメだと言われたり、すべてを手品だと思い込んだ素人研究者に、最初から難しい条件の実験をせまられるケースなどがあり、失礼な人々も多い。
 超能力は、それが人前で発揮される上で、観察者の心理的協力が不可欠なのでる。
 やはり、客観的で正確な本物の(近年はやりのオーラ写真や、波動器ではなく)サイメーターの出現を望む。
2)自己の能力向上と持続について
 一日1回、特に朝方が多いが、私の場合は古神道にある紳を信じているので、それに無心をささげ、宇宙と人々が楽しくあるように祈る。
 祈りが超能力に不可欠なものであるという気はないが、何か大いなるものに自分の未来をゆだねつつ、今を楽しく生きることは、心にストレスをためないよい方法だと思う。
3)能力発揮のきっかけ
 中二の時に、静岡で、夜、発光体をみたことがきっかけで、翌日から、他人のまわりに光が見えたり、不思議な図形が見えるなどという現象が起きた。
 しかし、その能力は当初、ところかまわず発現し、不都合なこともあって、戦前の霊術家や先輩達の本をむさぼるように読んで、コントロール法を学習した。今は、そのおかげである程度スイッチの入れ切れができる。
4)社会(学会)への要望
 研究者への実験への協力は、これからも、社会のためになるなら無償で、できるかぎり行なってゆきたい。ぜひ、否定派をうならせる研究成果を出してほしい。
 さらに、超能力者の人権保護や、法的な問題にも目を向けてもらいたいと思う。
 少し前に、某中国の能力者が、詐欺で訴えられた事件で、裁判所の判例が出ているのだが、その判例は、簡単に言えば、その能力者が、外気功でヒーリングをしたといえば、気で病気がよくなるのは事実だが、超能力と言ったから詐欺なのだというトンチンカンなものであった。法的に言えば、外気功と超能力は別のものなのだそうだ。
5)将来性
 超能力が、誰の中にもあり、当たり前になる時代が必ず来ることを私は今も信じているし、その信念を曲げる気はない。
 今現在にしても、自分の得意分野の中で、意識せずに、多くの人々が超能力を使っている。ドライバーが鏡三枚だけで1トンの鉄箱つまり自動車を、大変なスピードで動かしている勘は超能力ではないのか、生まれつき天才的に絵のうまい子がいたり、音感のよい子がいる。これも超能力ではないのか。経営や科学の現場で、この瞬間も、多くの発見・発明、ヒラメキが起きている。これを超能力と言わずして何と言おうか。
6)最後に、今何ができるか、日常の活用
 今、正直なところ、私はプロの能力者として働いている。私の予見や、私のアドバイスが、クライアントの役に立だなければ、収入はゼロという厳しい現場にいる。
 アマチュアは好き勝手でよいが、プロとなれば、能力1つで、相手の為自分の為に、予見し、念じ、集中しきる。
 今後も、そしていつまでも幸せのプロであり続けたい。

3.イメージが物質世界を割りあげる
一自分を信じることから、すべての世界は開かれていく。ー
 清田 益章
 キヨタは、長年、人の精神や心といった、つかみどころのないように感じられるものを、超能力といったひとつの表現方法で、具現化してきたわけですが、そうしているなかでキヨタはある考えに至りました。
 例えば、キヨタが発揮する超能力にスプーン変形があるが、物質的な力を加えずにスプーンを変形させるには、それができることを信じ、心の中でそのスプーンが変形し終わった結果のイメージを強く描くことからはじめます。
 スプーンが変形したカタチ、その時の周囲の変化、そして結果が起きたときに得られる自らの満足感…
 そのイメージがより具体的になればなるほど、結果が起きるまでの時間が短縮されるのです。
 一般的な現象、すなわち人それぞれの日常的な行動や、経済、政治、その他に社会に起きる様々な事柄に関しても、つきとめていけば心の世界からはじまっている、とキヨタは実感しているのです。
 「すべては、心の中の夢、イメージから始まり、それが様々な現象(事象)を巻き起こし、そして心の中の満足感によって終結する。」「未来は今、心の中でのみ築き上げることができる。」とキヨタは感じます。
心の中で創りあげる、イメージ、ビジョンの大切さ、人が互いを信じあう力などを、スプーン変形のデモンストレーションを含めて、講演します。

4.未知能力を生活に生かす ーダウジングー 堤 裕司
 ダウジングは、未知能力には違いないが、いわゆる超能力とは一線を引いた「技術」であると位置付けるダウザーは海外には多い。
 「ダウジングは史上初めて職業になった超能力的技術であるjと海外のダウジングの本には良く書かれている。
 職業になるためにはそこに実利が発生しなければならない。また、職業になるためには、再現性と言うことも大きな要素になる。そういった意味でダウジングは技術として早くから実用化になったものではないかと思われる。
 多くは井戸を掘るための場所を選定する手段として地下水脈を探すことに用いられてきた。海外にはダウジングによって発見された井戸は数えきれない程存在する。
 ダウジングは過去、科学的な検証の対象に何度かなっているが、多くの実験が否定的な結果になっている。実際のフィールドで行うダウジングは8割以上の的中率を示しているのに、実験室での実験には途端に偶然の確率以上の的中率を出せないでいる。これには様々な要因があるだろう。
 1984年にダウザー協会を設立したが、当時私は22歳だった。日本ではダウジングがあまり知られていない状況だった。情報も乏しかった。
 しかし、海外に目を向け九時、特にアメリカでは様々な分野に実用され、書籍も多数出版されている。海外の書籍を取り寄せ、辞書を片手に翻訳し、地道にダウジングを学んでいった。
 と言うよりも、日本でのダウジングの情報をはるかに超えた様々なダウジングの情報を知ることが面白かった。
 思えば、私は地道にダウジングを練習した事がなかった。ある時、テレビに出されることになり、なれない環境で切羽詰った状況に置かれた。ダウジングは当たったのだが、その結果に自分が一番ビックリしてしまった。「ダウジングってやっぱり、当たるんだ」とその時感じた事を今も覚えている。
 つまり、切羽詰った環境下で必要性が高まり、ダウジング能力が発現された様に感じる。
 ダウジングを人に教えると、初心者でも水脈には良く反応する。水脈から何かの微細なエネルギーが放射され、それによって人間の筋肉が反応している様な感じである。
 だから、屋外で水脈を探すダウジングは、近い将来、科学的に解明される可能性が高いと思われる。
 しかし、ダウジングには現地に行かず遠く離れた所で、地図の上で行う「マップダウジング」と呼ばれる現象もある。これは、「技術」ではなく超能力の色合いが濃い様に思われる。
 セミナーなどでマップダウジングを人に教えても、初心者は実地での水脈ほどの的中率が出ない。ここは線引きが必要だと思われる。
 しかし、海外のダウザーに聞いてみると、現地で行うダウジングと地図上で行うダウジングを特別区別せず、同じように考え実行している。

5.メタルベンディングの条件設定 佐々木 茂美
1)サイ現象の確認をする
 メタルは実験室内の電磁的・熟的・音響的なノイズに強く、しかも変形過程(弾性的・塑性的)がはっきりと判明しているし、又偶然にベンドすることはないので念力(PK)としてのサイ現象テストには最適である。
 1974〜6年にわたって、実験者側が設定管理した単純梁式の装置により、充棟曲げメタル試験片等を用いて、非接触で、11〜13才の少年能力者(被験者)3〜6名で、衆人環視の下に念カテストをした〈1〉〈2〉〈3〉。
 44本以上の試験片を用いて、99点以上のPK変形の実験値を記録した。
メタルベンディング  図1はそれらの結果をモデル化して示したものである。
 図の縦軸は力(P)、横軸はひずみ(ε)。念力はAE、A点は弾性限界、ABは塑性変形(永久 変形)である。図の実線は通常の物理変形、点線はサイ現象(念力)であるが、現在のところ既発表論文が見当たらないので、他との比較は出来ない。
 (1)サイ現象は図の零場と書いてある範囲内でのみ生起している。
 (2)PK変形AIは時間的に単一パルス状に生起している。
(3)図のOA・BC・FHは弾性変形であるが、PK変形後に負荷すると変形し難く、見掛上弾性喪失(IF)になる。つぎに
(4)除荷すると、塑性変形(永久変形)の過剰戻り(FG)がある。
2)条件設定が必要である。
 従来はあまり考慮されていない様子であるが、条件設定をしないとサイ現象は生起しにくい。我々の経験によると、物に対しては零場、意識に対しては零意識(ASC:変性意識状態)下でのイメージが必要である。
 零場というのは(十)方向の力と(一)方向の力が押しあって局部的に零又は中和の点が出来る事。
 図1の場合には負荷によってメタルは活性化され、不安定(準安定)な状態になり、局部的に零揚ができる。
 零意識というのは、(十)としての意識、(一)としての無意識の境目の零の意識の状態。つまり知性や理性を部分的に変容させて(やめて)リラックス又は緊張集中の状態になり、イメージした情報が出現してくるのを待っている状態、又は人間らしさをやめて(人格変換)好き嫌い等の感情を優位にしている状態を意味する。
 イメージとしてはメタルが曲がる過程、念力曲げが出来上がり、喜びに満ちた状態。それらをありありと想い浮かべる。
 立会人もそのように願い、そのように応援する。暫くすると、能力者や立会人の知覚とは別に、不意に、パルス状に現象が生起してくる。
3)金属曲げの機構
 零には大きさや方向や時間が無い、サイも同一である。我々が行った多数の実験結果から判断すると、零場並びに零意識には、サイエネルギーが集積されてくる。次の仮定をする。
 物と意識の零の状態(場)を介して両者間に共鳴(縦波)が起こり、相互作用が生ずる。他方、固体ダイオード中の電子流は意念(念力・PK)によって任意の方向に制御する事が出来る〈4〉ので、図1の場合、共鳴した素粒子レベルのサイエネルギーがイメージした情報に従って制御されて、図1の金属曲げが生ずると考えることにしたい。
参考文献
〈1〉佐々木茂美その他、サイ科学、vo1.1,N0.2,(1976),pp.8・15.
〈2〉佐々木その他、超科学会誌、vo1.1,N0.2,(1974),pp.2-13.
〈3〉佐々木その他、サイ科学研究論文集、N0.17,(1982),pp.7-13.
〈4〉R.G.Jahn, B.J.Dunne, 笠原敏雄その他訳,実在の境界領域,(1987),pp.1-290,技術出版

6.最後に(企画者としての感想)
 3名のパネリストはこれまで何度も日本サイ科学会の講演会、大会で講師をして戴いている。
 しかし、3名が一同に会してシンポジウムを催すのは、初めての企画でありおそらく他の会でもあまりなかったことで、主催者、聴衆の期待も大きいものがあった。
 3名ともお互いに古くからのおつき合いがあり、期待通りシンポジウムは最初からリラックスした 雰囲気で各能力者の個性が十分発揮された講演、討論となった。
 秋山氏は様々な情報とメディアにおける[サイ]の扱われ方、ビジネスヘの活用を分かりやすく語り、清田氏は「スプーン折り」実演とその方法、イメージの重要性を熱く語り、堤氏は控えめだがダウジングの解説、これまでのダウジング体験を穏やかな口調で語った。
 それぞれの個性がうまく溶け合って、楽しい雰囲気の中、参加者側からの質問も活発に出て、皆未知能力の存在を信じているが、それを能力者がどういう方法、場面で使うのかがよく分かるシンポジウムであった。
創設25周年記念大会シンポジウム2梗概

The museum of kokoro science
PSIJ