PSI Vol.8, No1 December 1984 Essay pp.45-51.
古代チベットの思想から想う
死 の 科 学

奥 野 利 明
Toshiaki Okuno
 かれの意志に反して人は死ぬ。死ぬことを学ぶことなく。死ぬことを学べ。
そして汝は生きることを学ぶだろう。……
(チベットの「死者の書」(バルド・ソドル)「おおえまさのり訳著、講談社」より)

ニアデス体験の共通性と普遍的手続きの潜在
 より良く生きようと考え、その方法を模索することは重要である。しかし死は誰にもやってくるとき、生の対局たる死について科学することは、「真髄的な生」を浮き立たせ、改めて日々の生活の在り方を問い正してくれるのではあるまいか。
 近飢死体験研究者のレイモンド・A・ムーディ博士は体験者百数十例から総合して、死に瀕した状況や死を経験した人のタイプが、極めて多様であるにもかかわらず、体験談そのものに驚くべき類似がみられ、それらを総合すると次のような共通要素にまとめられるとしている。
(1)苦痛が極みに速したとき、医師が死亡宣言するのを聞く。
(2)ブーンといった不快な音が聞こえ同時に長いトンネルを急速に移動していくのを感ずる。
(3)突然、肉体から抜け出て、現場を離れた所から傍観する。そして自分がまだ、身体を有していて、なお肉体とは非常に異った性質・能力をしていることに気付く。
(4)過去に死んだはずの近親者や友人達がやってきて、彼に手を貸し導く。
(5)慈愛深い輝かしい光の霊人が現われ、言葉によらぬ直接的な意志の伝達により一生を再評価させる。このとき生涯の主要な出来事が一瞬のうちにパノラマ的に再現して映し出される。
(6)彼は現世と来世の境界を暗示するものから、後戻りのきかない境涯の接近を理解するが、このとき再度地上に戻らねばならないことが何らかの方法で分かってくる。
(7)死後のこれらの経験に魅了され、強い歓喜・愛・安らぎが心に満ちている時のこの反動に彼は抵抗するが、願いむなしくやがて生き返っている自分を発見する。
 多分に境界地(河など水域に関したものが多い)を越えると、もはや仮死から完全死に移行してしまうと考えられる。(これがいわゆる「脳死」に対応するのだろうか)この延長上には、人は死後、霊魂として生存するという。古来より伝統的に支持されてきた死後の世界(霊界)や輪廻転生の問題が横たわっており、この種の最近の研究はこれに対し肯定的な情報を提示するようである。
 さて、これらの移行の過程には、その人の生活や信条による影響は余りみられず、多様な形態をとって顕われることはあっても、夢や幻覚と異り、鮮明で共通要素に関して定型的であるという。これは何らかの手続きが摂理として定められているとみてよいのではないか。かかる普遍的手続きの存在が確かなら、死後の意識存続が延長線上に確からしくなるばかりか、我々の感覚を超えた一大情報系の存在が仮定されてくるであろう。しかもそれはユングによれば「元型」なるものに規定されていようし、なおも言えば生奇体の発生分化がDNAに手続きされる如く、DNAすらもその傘下に擁する「超越的な手続き群」の賜物であろうと推測するのである。…

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