PSI Vol.5, No.1 August 1980 Thesis 1. pp.2-14.
物理的測定の場に投げかけられた心の蔭を説明するための新しい試論(第6報)
宮内力(日本念写協会代表幹事)
A trial theory to interpritate the mind shadow which cased upon the physical measurement.
ー 量子力学的状態収縮に関するマトリックス的研究 ー
Tsutomu Miyauchi, Secretary-General of the Association of Nengraphy in Japan

II.量子力学的状態収縮の問題点
 第1篇により、この試論の数学的基礎は確立されたので、いよいよ表題にかかげた、「物理的測定の場に投げかけられた心の蔭を、物理学的、数学的表現でもってとらえる段どりとなるのであるが、その前に現代的物理学の最先端に位置する量子力学において、現在に至る迄その解釈について根本的に不一致を示している、根本的問題、即ち量子力学的状態の収縮とは一体何をさし、どこに問題点があるのかにふれておこう。
 一方の雄は例のA.Einsteinである。(Scientific PaPers presented to Max Born, New York 1953.)他方、之にはげしい反撃をこころみ、絶対に承知しなかったのが、原子構造論の創立者N.Bohrで、いろいろの 論文があるが、その中でも邦釈の「原子物理学における認識論的諸問題に関するアインシュタインとの討論」 井上訳、中央公論(1970)が参考になるであろう。これらの巨匠たちが血道をあげて論じあった問題は要約すると一方が「たとえ観測者がだれひとり存在しなくとも、物理的実在は存在するであろう。」「物理系にはなにか実在的な状態というものがある。これはいかなる観測(則定からも独立して客観的に存在し、原理的には 物理の表現手段によって記述できる。」「自然はわれわれの感覚的把捉あるいは研究手段などから独立した客観的実在性をもつ。物理の理論の目的は、この客観的実在に関して、理解しうる報告書をつくることである」と どこ迄も人間から独立した客観的実在の存在を固く信奉し、主張するのである。
 之に対しN.Bohr、W.Heisenberg、E.Schrödinger など一群の量子論学者はその行きすぎを鋭く批判する。 Bohrがその前提とする思想においては、上述のEinstein たちが信奉する客観的実在論的要請(それは要請であって、決して実証されたものではない。信奉、信仰は人間の一種の要請である。)を絶対に承認しない。今一度くりかえすと「ある微視的な系は、観測者がその系についてなんらかの知識をもちうるーあるいはもちえないにかかわりなく存在し、一定の性質をもつことができる。かかるが故に、このような微視的な系の存在を問題とすること自身は意味がある。」という要請をEinsteinrたちはうけいれるのであるが、N.Bohrは之をしりぞけて、(系が測定装置と相互作用するまでは)あるいはより直接的にいうと(系を人間が観測するまでは)固有の物理的実在はないと主張する。慣用の記号であらわすと、
Probability distributions
の確率分布であらわす混合集団的存在の状態にあるだけで、Einstein等が云うような物理的実在としては、まだ、 独立して存在してはいなというのである何とも奇妙な両派の対立点であるが順次実験に即してこまかく当ってみると、読者にも納得がゆかれることと思う。…

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